目的地はさる華道家の本拠をお訪ねする奇友との小旅行であったが、寄り道が堺南宗寺となる。どことなく、京の禅寺をみなれた目には南方の風が吹く空間構成、大阪夏の陣の折り一度焼失、沢庵和尚によって再興されたとゆうが、戦国時代を生き抜いた一級の人物の痕跡の集積地であった。一休、武野紹鴎、千利休、山上宗二、古田織部、家康とのただならぬ痕跡がちりばめられたアミュウーズとでもいえばよいのか、南方系禅風と日本芸道の要旨がここでぶつかり融合していたのはまちがいない。頭に陽の茶とゆう文字がうかんだ。 空に吹く風にぬけてゆく開放のお茶。本来もっていた自由自在のこころの在り処。戦国桃山の風が2月のつめたい雨と交差するように降っていた。